2015年11月4日
「面白きこともなき世におもしろく、すみなすものは心なりけり」
この詩の前半は高杉晋作が下関でこの世を去るときに詠んだもので、後半はそこに立ち会っていた野村望東尼が付け加えたものと言われています。野村望東尼は、福岡の平尾山荘にひっそりと暮らしていた幕末に活躍した福岡の女流歌人で、花燃ゆにも登場しました。
先週の土曜日にその平尾山荘に行ってきました。西鉄福岡駅から2駅目の西鉄平尾駅から徒歩で約10分ところにあり、今では賑やかな住宅街となっています。昨年12月1日のつぶやきで書きましたが、ここは俗論派に命を狙われていた高杉晋作がかくまわれていたところです。高杉の死後、望東尼は、下関から山口へと移りますが、最終的に居住した防府で1867年11月6日に亡くなります。この命日にはここでも「平尾望東祭」が行われるようで、駅前や平尾山荘公園にはのぼりが立てられていました。
防府の望東尼の終焉の地には石碑が建てられており、お墓は楫取素彦・美和子夫妻の墓と同じ桑山にあります。今年の7月18日に防府で開催された野村望東尼研究家の谷川佳枝子さんの講演会に出かけましたが、野村望東尼を知ったのは最近のことですので、そんなに参加者はいないだろうと思っていました。しかし、200人は超えていたでしょうか、大きな会場にいっぱいの人がいて驚きました。防府の人たちには野村望東尼は特別なのですね。
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山荘跡は公園になっていて、道路沿いにのぼりが沢山立てられていました。 | 平尾山荘入り口。望東尼は「ぼうとうに」または「もとに」と読まれるようです。 | 勤王志士の交流の場となり、高杉晋作も功山寺決起前に、ここにかくまわれていました。 | 防府市にある終焉の地。 望東尼は1867年11月6日に亡くなりました。お墓は桑山にあります。 |