2015年7月27日
今回は長州ファイブに関係する碑を3つ紹介します。
(写真1)は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の中庭にある、長州ファイブと薩摩の学生19名の名前が刻まれている碑です。ロンドンでこの両藩の若者が交流していたわけですが、このころ日本では1863年に八月十八日の政変、その翌年に蛤御門の変が起こっており、長州と薩摩は険悪な時期でした。私が持っているのは山口大学のお酒「長州学舎」で、わざわざ日本から持っていきました。
あと2つは山口市内にある碑です。(写真2)は、今年の1月に、秋穂二島にある山尾庸三の実家の前に設置されていたもので、UCLにあるものと同じぐらい立派な碑です。土地所有の問題でここから移されることになり、いまは二島中学校にありますが、いずれ新山口駅前に移されるそうです。
面白いのが(写真3)で、中国自動車道山口インター近くの大内中学校のそばにあります。ここは昔に処刑場があったところで、大村益次郎が腑分けを行っており、それを記念した大きな碑も建てられています。大村が長州ファイブの渡航を支援したという関係で、この5つの石が置かれているのだと思いますが、ご覧のように、無造作な置きかたが、なんとなく意味ありげです。しかし、誰が、いつ作ったかなどの説明もなく、ナゾの碑です。どなたかご存じの方は教えてください。
(写真1) |
(写真2) |
(写真3) |
2009年にUCL中庭にある碑で撮影。長州ファイブとその後来た薩摩からの19名の学生の名前が刻まれています。私が持っているのは長州学舎とその箱。 | 山口市秋穂二島の山尾家前にあった長州五傑顕彰碑。左の写真と比べると分かりますが、UCLにある記念碑に似せて作られています。 | 大内中学校グランド外にある「長州五傑碑」。大村益次郎はここにあった処刑場で腑分けをしました。 |