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2015年7月13日

今回と次回の2回に分けて長州ファイブのことを書きたいと思います。
長州ファイブのことをお知りの方は多いでしょう。山大にも吉田キャンパスに石碑が建てられています。伊藤博文、井上勝、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三の5名が1863年にロンドンに渡り、英国の産業や文化に触れて、攘夷が不可能であることを知り、帰国してからはそれぞれが日本の発展に尽くしました。これら5人のうち伊藤博文と井上馨は、長州藩が1年前に外国船を砲撃したことの報復が行われることを新聞で知り、急遽日本に帰国します。
防府市の富海には、2人が上陸した地に石碑が建っています。富海は海水浴場で、子供の頃に私もよく行きました。古い話ですが、南沙織の「17才」の歌詞の冒頭の「誰もいない海」の海は富海の海と言われています(作詞者の有馬美恵子さんが防府の出身です)。2人が富海を選んだのは、さすがにメイン港の三田尻港から上陸するわけにはいかなかったからでしょう。

伊藤博文と井上馨は、富海から藩庁がある山口に向かいます。彼らは長州藩の役人達が住居として使っていた十朋亭(じゅっぽうてい)に入り、旅装を解いて英国の状況と攘夷の無謀さを伝えるために藩庁に向かったと言われています。しかし、彼らの話は全く受入られず、逆に命を狙われる立場になってしまいます。
徒歩や馬車で旅をしていた時代に、蒸気機関車が走っていたのですからね。それを見たら日本人は誰も英国とは戦争したいとは思わないでしょう。しかし、それを伝えるのは難しかったでしょうね。ネットやテレビがある今の時代ならば、すぐに分かることなのですけど。

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