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2014年5月12日

前回に書いたように、子どもの頃、防府に3年間住んでいましたが、小学4年生のとき、近所に、田中無線という電子部品のお店ができました。ものづくり大好き少年だった私は、そこの店に入り浸るようになりました。最初にゲルマニウムダイオードを使ったゲルマラジオを作り、次に真空管を3本使った3球ラジオを作りました。店主の方には随分迷惑をかけたと今になって反省していますが、これがきっかけで私はラジオ少年への道へ入り込みました。

下の左側の写真を見て下さい。真ん中でペンを持って何かを書いている人は、34年前の私です。山大工学部に入学してすぐに、ラジオ少年の私は、当時休部状態だったアマチュア無線部を仲間と一緒に復活させました。大学2年のとき、山口市と姉妹都市である、スペイン・パンプローナ市のアマチュア無線家が、山口市のアマチュア無線家と交信したがっていることを知り、市役所にいって「私たちがやります!」とその交信を買って出たのでした。
この写真は、相手が送信しているモールス符号を記録している場面です。丁度このころに、クラブ内誌を作ろうということになり、その第1号の表紙の写真としてこれが選ばれたのでした。この交信を行なった場所は、今はもう改築で無くなりましたが、理学部4階にあった大講義室の後ろの窓際でした。

今度は、下の右側の写真を見て下さい。これは、パンプローナ市の郊外にあるサビエル城の前で取ったものです。私はいま、大腸菌の細胞シミュレーションの研究をしていますが、大腸菌の研究で活発なグループが、偶然、パンプローナ市にある大学にいて、2010年にその研究室を訪れたときに連れて行ってもらったときのものです。まさかこのような形でパンプローナを訪れる機会が来るとは思ってもみませんでした。市の中心部に山口公園があるからだと思いますが、パンプローナの人たちの殆どが「YAMAGUCHI」を知っていて、驚きました。いつになるか分りませんが、次回は、仕事ではなくて、ゆっくりと訪れてみたいと思っています。

山大アマチュア無線部の部内報誌第1号の
表紙を飾った、パンプローナ市との交信の様子
(改築前の理学部4階大講義室の後方で撮影)。
2010年9月にサビエル城の前でPublic
University of Navarreのラボメンバーと。
焼失した前のサビエル記念聖堂の正面は
このデザインを模したものだった。
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