2018年1月25日
萩市役所において1月24日に、本学、萩市、山口銀行の3者で包括連携等に関する協定締結調印式が行われました。本年が明治維新150年目にあたることを契機に、日本ジオパーク認定を目指す萩市の支援、観光政策の面での協力など、より連携をより深めようとするものです。山口銀行とは、萩支店浜崎出張所跡の建物を利用させて頂き、本学のサテライト研究室を設置することで合意しました。
萩藩の藩校は明倫館でした。1863年に毛利が萩から山口に移ってきたことを契機に、山口講習堂が山口明倫館に改称されています。その後、萩の明倫館は廃止されましたから、結果として明倫館は山口に移動したことになります。その山口明倫館の兵学寮は一の坂川沿いにあるクリエイティブ・スペース赤れんがの場所にありました(写真左・中参照)。
山口講習堂は山口大学の前身にあたり、本学の起源は山口講習堂改称前の山口講堂(1815年設立)としています。しかし、明倫館が移動したことを考えれば、本学の起源として山口講堂ルートでなく、明倫館ルートをとることもできそうです。そうなると、明倫館は1718年に設立されましたから、今年で本学は創立300年ということになります。明倫館は藩校でしたから、山口県の総合大学である山口大学の起源を明倫館とする考え方は成り立ちそうですが、山口市で設立されたことを重要視すれば、山口講堂ルートも十分納得のいくものです。
話は変わりますが、私の住んでいる山口市宮野には総理大臣を務めた寺内正毅が作った寺内文庫の建物(写真右)が残されています。今は廃墟のようですが、クリエイティブ・スペース赤れんがのように、再生させて有効利用して欲しいものです。
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クリエイティブ・スペース赤れんが。昔は廃墟のようでしたが、1992年に改装され、今のようになりました。 | ここには山大の前身である山口明倫館の兵学寮がありました。それ以前の山口講堂からの歴史が書いてあります。 | 山口市宮野にある旧寺内文庫。クリエイティブ・スペース赤れんがのように再生させて欲しいものです。 |