2020年6月29日
入梅し、すっきりしない天気が続いております。
さて、私たち自然科学の研究を行っている大学人、日常さまざまなところで課題解決の場面に出くわします。研究活動はその繰り返し、それ以外でも大学・学部の運営、学生の皆さん自身のさまざまな問題。特に、学生の皆さんの課題については、学生自身の個人的な事情や将来のことなどが複雑に絡んだ難題もあります。
その中で、自然科学の研究に携わっている私たちは、そのやり方の原点ともいえる「そもそも論」に立ち返って考えることが多くあります。特に私は物理学を専門としているのですぐに「そもそも、なぜ、そうなるの?」という考え方をよくします。少し哲学的だと思われるかもしれませんが、純粋に「そもそも、なぜ?」です。
例えば、画像1のような電柱があります。例えば、電柱に替わるものを考えなければならないときに、「そもそもなぜ電柱なのか?」と。電柱はもともと電気信号や光信号を伝えるためのケーブルを敷設するためにあります。最初に電柱を用いる方法が発案されたときは、ケーブルがさまざまな環境に耐え、他の障害にならないように、安全性やメンテナンスのしやすさにも考慮し、コスト等々の条件を満たす最適な解の1つだったに違いありません。さらには「電柱はそもそもなぜ垂直に立てなければならないのか?」などという疑問も。力学的安定性、地面の面積を最小限にしか使わない等々の条件を満足する解が垂直に立てることなのでしょう。ただし、垂直に立てる以外の解としてはいろいろな発想があるかもしれません。当然ですが、当初はケーブルを空中に敷設する以外の「解」も考えられたかもしれません。当時の状況では最適な解ではなかったものが、現在は最適な解になることもありますね。事実、現在、都市部ではケーブルは地下への敷設が進められています。
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画像1 電柱 |
その昔、自動車のサイドイラーは、今のようにドアのところではなく、ボンネットのサイドのフェンダーの上に取り付けられていました(画像2)。ちょうど私が自動車の免許を取り、運転を始めた頃、今のようにドアに取り付けられるようになりました。当時は古いタイプのサイドミラーをフェンダーミラー、今のタイプのものをドアミラーと区別して呼んでいたように記憶しています。フェンダーミラーのミラーの向きを手動で調整していた時代は、出かける前の運転席に乗った父親から頼まれ、「おい、ミラーを動かしてくれ。もう少し右。よし、ありがとう。」などというやり取りをしたものです。懐かしいと思われる方もあるかもしれませんね。さて、そもそもなぜ最初はフェンダーミラーであり、途中でドアミラーに替わったのでしょうか?そのときの経緯は気になります。インターネットの普及ですぐに答えが見つかる今は、そのようなことは話題にもならないのかもしれませんが、みんなで「何々だからかも。いやそれは違う。・・・」等々、知恵を出し合って議論してみるのもよいトレーニングになりそうですね。
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画像2 自動車のサイドミラー |
研究室の学生に研究指導をする際に、新しい実験結果を学生が見せてくれたときに私は「なぜ、そうなるのかなあ?」を連発します。学生は「また先生、難しい質問をするなあ。」と嫌がっているかもしれません。しかし、自然科学はそれが基本。純粋にそう思って学生にその言葉をなげかけています。学生は「先生は答えをしっているのでしょう。」と勘違いしているかもしれませんが、もちろん私も答えなんて知りません。いかにそれを推論するかが科学です。そのような考え方は何も自然科学だけではないと思います。課題解決法、いろいろなやり方はあると思いますが、「そもそもなぜ?」を大切にしたいものです。
最後に画像3は今から35年前、大学生のときの私の自動車です。銀色のフェンダーミラーです。
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画像3 1985年当時の自動車 |