2016年11月7日
少し前ですが、先月の終わりに大分に行ってきました。家の用事だったのですが、私はそこには行かずに、前から気になっていた日田市の咸宜園(かんぎえん)を訪れました。2年前の2014年9月9日のつぶやきで書いているように、咸宜園は大村益次郎と、彼を討ったとされて長州藩から処刑された大楽源太郎が学んだ学校です。園内で配布されているパンフレットには、この両名ともが有名な出身者として記載されていて、この2人の関係を知っている者としては妙に感じられました。
咸宜園は広瀬淡窓が開いた学校で、江戸時代後期では日本最大規模の私塾でした。日田市は福岡県との県境にあり、山奥で便利なところとは言えませんが、優秀な指導者のところには場所を問わず若者が集まっていたのですね。今は都会になんでも集まっていて、都市と地方の格差が広がっていますが、この差を埋める地方創生のヒントになるような気がしました。咸宜園は足利市の足利学校、備前市の閑谷学校、水戸市の弘道館とともに、世界文化遺産への登録を目指しているそうです。
日田に行く途中に、中津市にも寄りました。中津と言えば、福澤諭吉です。確か大昔に小学校の修学旅行で行った記憶があるのですが、福澤諭吉旧宅に行ってみました。昨年のつぶやきで書いたように福澤は大村益次郎と同じ大阪の適塾の出身で、慶応義塾大学の創設者として有名です。早稲田大学を創設した大隈重信は薩長中心の新政府の一員でしたが、福澤はこれらと交わることなく独自の路線で活躍していたことを知り、興味深く感じました。
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場内をガイドしていた人に撮ってもらいました。奥に見える古い家は秋風庵で修復して残されています。 | この遠思楼は淡窓が68歳のときに立てられ、ここで読書をし、知人たちと詩会を催したそうです。 | よくある昔の古い家ですが、諭吉が暮らしたと思うと歴史を感じます。隣に福澤記念館があります。 |