
山口大学の正門, 入ってすぐ左に, 大賀ハスが咲いています. 昭和26年に, 大賀一郎が, 多くの協力者の助けを借りて千葉県・検見川の泥炭地から約二千年前のものと思われるハスの種三つを見つけ, その一つがその後開花した. それが現在, 大賀ハスと呼ばれています. 山口大学に咲いている大賀ハスは平成21年に, 仁保下郷の源久寺さんから譲り受けたものです. 二千年とはとてつもなく長い月日です. 天界で悪さばかりしていた岩から生まれた孫悟空はお釈迦さんにお仕置きされて, 五行山の岩の隙間に閉じ込められます. 天竺へ向かう玄奘三蔵に助け出されるまで孫悟空が閉じ込められていた期間が五百年です. 大賀ハスはその4倍も長い間, 二千年もの間, 泥中に埋まっていたのです.
この大賀ハスの大賀一郎が書いた本が山口大学の総合図書館にありました. 昭和35年に, 内田老鶴圃から出版された「ハス」というタイトルの本です. 大学の図書館とはスゴイものだと改めて感心しました. 一般に, 植物の種の寿命は長くて4, 5年のようですが, マメ科, ハス科の種は寿命が長いようです. だからと言って, 泥中に埋まっているハスの種をポイっと水の中に入れたら, 発芽するものではないようです. 大賀一郎は, 大賀ハス発見までに, 中国の五百年以上前のハスの種について研究していたようです. ハスの実の皮は堅くて厚い. ハスの実を濃硫酸に二時間以上入れたり, ヤスリで削ったり, 木鋏で切ったりしてから, 水中に入れるそうです. 仏典には, 優曇華(うどんげ), 霊瑞華(れいずいけ)などと書かれる花が出てきます. これは二千年よりも長い, 三千年に一度開花する花のことで, この花を見ることは稀だと, 仏の智慧など遇い難いことを譬えるときに用いられます. 硫酸やヤスリなど, 現実に花を咲かせるのも大変な苦労だと思います.
大賀ハス発見よりも前, 千葉県滑河付近から出土した一千二百年前の須恵器の中にハスの種が入っていたそうです(昭和7年). それをもらった大賀一郎は, (昭和25年に)一大決心して, 種に鋏を入れてコップの水の中に入れたそうです. 種を水に入れてから, 4日目の晩に小さな芽が出て, その後スクスクと生長したそうです. 不運にもこのハスは枯れてしまいます. 7月上旬の暑い日, ハスを見張る係の若いお手伝いさんが, ハスの葉の色の様子がおかしいと気が付いて, 心配して急いで肥料をたしたそうです. 何しろ一千二百年前のハスです. お手伝いさんも必死だったのだと思います. 彼女は大賀一郎に連絡する前に, 魚屋からアラを調達して, 水中に入れました. 大賀一郎が, ハスの肥料は魚であると言っていたからです. しかし, 大賀一郎は肥料はハスの根にやるもので, 水中に入れるものではないとは言っていなかった. 彼女が善意で水中に入れたアラが腐り水面が脂肪に覆われた. これが原因でハスは枯れてしまったそうです. 大賀一郎は, ハスを枯らしてしまったことを法隆寺の金堂を焼いたような心持がして苦しみ続けたという(大賀一郎は前年の昭和24年1月の金堂の火災を思い出したのかも知れません.). このお手伝いさんも責任を感じて大賀一郎と同じように苦しまれたと思います.
この後, 大賀一郎は心挫けず, 検見川の泥炭地採掘で, 一千五百年前の丸木舟やハスの果托が出ていることを思い出し(昭和22年のこと), 検見川泥炭地に, ハスの種が埋まっていると希望を抱いたそうです. 私は見たことも読んだこともないですが, カーライル (イギリスの人, 1795-1881) が生涯をかけて書いた「フランス革命史」の原稿をカーライルの友人の家のお手伝いさんが朝食の準備のときに, ストーブで燃やしてしまった. 原稿を失ったカーライルが「ああ, 無情」と嘆いたかどうか知りませんが (ユゴー (フランスの人, 1802-1885)の「レミゼラブル」(ジャン=ヴァルジャンやコゼットなどの話)の出版は1862年.), カーライルは事件の数日後に気を取り直して, 再び「フランス革命史」を書き上げたという. 大賀一郎はこの話を思い出して, 検見川でのハスの種発見を願ったそうです. 私の書いた論文で, 出版されていないものがいくつかあります. 論文一つ一つに様々な思いがあり, 出版されていないことがずっと心の重荷になっています. 出版のために, 再び行動したい気持ちも少しはありますが, 一度タイミングを失うと気力が湧いてこないものです. 私は大賀一郎のようにはいきません. 数理科学科の学生のみなさんには, 学業のタイミングを逃さないでほしいと思います. 卒業論文や修士論文を書くべきときに書く. 就職活動で忙しいかも知れませんが. また, 休学から復学する場合も相当のエネルギーを必要とします. 遠慮せずに, 近くの教員の手を借りてください.
大賀一郎は, 東大検見川農場内で昭和26年3月5日, 発掘作業を開始しました. 発掘作業には, 検見川農場主任とそのご家族, 武蔵野博物館, 科学博物館, 東大地理学教室, 人類学教室, 考古学教室, 資源科学研究所, 千葉県教育庁, 千葉市が協力, 支援したそうです. さらには, 地元の花園中学校, 畑小学校, 穂積組の協力もありました. 大賀一郎は, 協力者の方々の犠牲的労力の奉仕による一生一代の大事業であったと書いています. この発掘作業は大変なものだったようです. 種の存在が期待される丸木舟が出土した辺りは, 土壌が弱く再発掘できず, 別の場所を発掘するけども, 穴を掘っていると水が大量に湧いてくるので, その水の汲みだし作業が必要だったりと苦難の連続だったようです. クレーンを用いて, 穂積組の人が代わる代わる5, 6メートル掘った. その土を小中学生たちが学校の始まる前と終わった後に, 篩にかける (篩は「ふるい」と読みます. 難しい漢字ですが, 数学に出てくる素数を見つけ出す作業のエラトステネスの篩のふるいです.). 当初の予定では7日間の作業だったそうですが, ハスの種は見つかりません. 3月なので, かなり寒い日もあったと思います. 水も冷たかったと思います. 発掘作業開始から25日目の3月29日の夕方5時に, 女子学生西野真理子さんが作業していた篩の中に一つハスの種が引っ掛かったそうです. 大賀一郎, 中学生と一緒に記念写真を撮った後に, 茫然と一つのハスの種に涙したと言います. 中国の泥中に埋まっていたハスの種を手にして以来36年目, やっと手にしたたった一つの二千年前のハスの種. しかし, その一つが確実に花を咲かせるかどうかわかりません. 発掘計画当初は, 数百個は出てくると予想していたそうです. こうして約一ヵ月に及ぶ発掘作業は一度終えますが, 一週間後に10日ほどの作業を再開したそうです. このときに, 2個のハスの種が篩にかかったそうで, ハスの種は計3つになりました. それでも, 本当に花が咲くのかどうか不安だったと思います. 一千二百年前の滑河の種から発芽しているとはいえ, 今回は二千年前の種です. さらに八百年も昔です. 約40日間, 延べ二千五百人ほどの人が携わった発掘作業は終わります. これだけの大規模な発掘でも見つかったのは三つだけです. 大賀一郎だけでなく, 作業に携わった人たちにとって, 優曇華の如く遇い難いハスの種だったと思います.
泥中から出てきた二千年前の三つのハスの種は三つとも発芽したそうですが, 一つは直ぐに枯死, 一つは十分に生長しなかったようです. 残る一つが見事に(大賀一郎は「美事」と書いている), 生長し, その後三つに分根し, そのうち二つが紅花を咲かせたそうです. 花が咲いた後に, 分根したものでも花が咲かなかったこともあったようです. それでも, 滑河の須恵器に入っていた種から発芽したハスを見張っていたお手伝いさんは胸をなでおろしたと思います. 様々な人々に支えられたこの艱難辛苦の一大事業の末に見つかった古代のハスは, 現在, 山口大学でも咲いています. 紅花だけでなく白花もあります. 数理科学科の学生のみなさん, 学業に躓いたときにこの花の道のりを想像しながら, 眺めると気持ちが楽になるかも知れませんよ. 大賀ハスの二千年にはとても対抗できませんが, 私の生家では, 私が小学校一年生のときに学校で植えたアサガオが, 何代も続いて今も咲き続けています. (南出)
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参考文献
- 大賀一郎 「ハス」内田老鶴圃, 昭和35年 (この本は山口大学の総合図書館にあります. 本の内側に「文栄堂」と鉛筆書きのメモがあります. 文栄堂さんから購入したものかも知れません.).

