国立大学法人 山口大学

本学への寄付

No.09 2021年4月発行


(4.06MB;PDFファイル)

No.09 4月号(2021年4月発行)

<特集>

「Academi-Q」タブロイド版は、山口大学総合図書館(吉田キャンパス)、医学部図書館(小串キャンパス)、工学部図書館(常盤キャンパス)、医学部附属病院外来診療棟入口(小串キャンパス)で入手いただけます。


連歌を募集します!テーマは「春」です。

 最新号2ページ目の特集記事『連ねる歌 つながる歴史』内の企画として、連歌(れんが)を募集します!記事はこちらからご覧ください。

【発句】会えぬ日を重ねてめぐる年の春(五七五)

(意味:コロナが収束しないまま一年が経ち、また春になった)

【脇句】君想いつつ一人見る花(七七)

(意味:今年は、あなたのことを想いつつ、あなたに会わずに一人で花見をする)

 発句(ほっく)、脇句(わきく)につながる「五七五」の17音の句を考えてみてください。一度使った語はなるべく使わないようにしてください。力作はAcademi-QのWebページで紹介します。ご応募をお待ちしています。

【作品の送付先】Academi-Q編集部
yu-info@(アドレス@以下→yamaguchi-u.ac.jp)


幕末料理 再現ミッション!! -りんご玉子と幻のミカン-

イギリス艦隊キング提督をもてなせ!

ライター 古屋 美祐

謎の食べ物の正体とは?

 「りんご玉子(たまご)」。なんだかお菓子のようでおいしそうな名前ですが、あまり聞いたことのない言葉ですね。一方、「クネンボ(九年母)」は、どうやら柑橘類の一種のよう。こちらも聞いたことがあるという人は少ないでしょう。
 これら謎の食べ物が登場したのは、幕末の山口。イギリスの艦隊司令官キング提督と、長州の藩主、毛利敬親(もうり たかちか)・元徳(もとのり)親子との会見の場です。幕府に対抗するうえでイギリスの協力が必要な長州と藩主への謁見を希望したイギリスの双方が日本料理と西洋料理でもてなし合った献立の記録が残っています。
 当時、毛利家はキング提督をもてなすために、献立を考えました。たくさんの料理や食材が並ぶその中に、りんご玉子とクネンボが含まれていたのです。山口大学教育学部名誉教授の五島淑子さんと一緒に、その謎に迫ってみましょう。


毛利敬親・元徳・キング肖像写真 毛利博物館蔵

日英饗応料理の献立
「英国人三田尻渡来一件」 山口県文書館蔵

りんご玉子と江戸時代の料理本

 まず、りんご玉子について調査してみましょう。といっても、毛利家の献立には料理名しか書かれていません。肝心の見た目やレシピ、味は全く分からないのです。そこで、りんご玉子について書かれた本を探すと、江戸時代の料理本『料理早指南』が見つかりました。
 この本によると、りんご玉子は「ゆで卵を熱いうちに丸めて、ユズの葉っぱを刺した料理」であると書かれています。つまり、りんご玉子とは、リンゴの形にそっくりなゆで卵のことだったのです!
 残念ながら、江戸時代の料理本には細かい作り方は書かれていません。その上、当時と全く同じ材料を手に入れることもできません。現代で手に入る卵と、幕末の山口で手に入る卵は、大きさや味が違っているかもしれないのです。そこで、分からない部分は想像で補ったり、現代の食材で代用したりして、りんご玉子の再現を試みることにしました。
 まず、卵を12分間ゆでた後、殻をむき、熱いうちにラップで包み、輪ゴムで止めます。5分間重しをして、上部にくぼみがついたリンゴの形にします。でも、やっぱりリンゴは赤くないとそれらしく見えません。そこで、幕末の山口で使われていたであろう梅酢を使って赤く色づけして、金柑の葉っぱを飾って仕上げました。キング提督が食べたりんご玉子も、きっとこんな風に可愛らしいものだったのではないでしょうか。


画像提供:防府市おもてなし観光課

幻のミカン クネンボ(九年母)を探せ!

 りんご玉子は、現代の食材を使ってなんとかそれらしく再現できました。しかし、クネンボはそうはいきません。昔の山口県では、特産品として盛んに栽培されていたようですが、今ではすっかり姿を消してしまっているからです。昔は、種が多い果物は子孫繁栄につながるものとされていました。しかし、種が少なくて食べやすいミカンが出回るようになると、クネンボはほとんど作られなくなってしまいました。
 でも、なんとか山口県でクネンボを見つけて、復活させて食べてみたい!そこで、五島さんをはじめとする研究者が共同で、クネンボを探すプロジェクトを行っています。県内の野生化したミカンの木のなかにクネンボが混ざっていないか、葉のDNAを調べてクネンボのDNAと照らし合わせているのです。しかし、広い山口県で野生化したミカンの木を探すのは至難の業。なかなか見つけ出せません。そこで、みなさんにお願いです!もし、道端でミカンの木を見つけたら、観察してみてもらえませんか?クネンボの実の特徴は、表面がゴツゴツとしていて皮が厚く、独特の臭いがすることです。また、先程お話したように種がたくさんあります。ひょっとするとあなたのすぐそばに、幻のミカン、クネンボが潜んでいるかもしれませんよ。「これかも!」と思う木が見つかったら、ぜひ教えてくださいね!


取材協力:山口大学教育学部 五島 淑子 名誉教授

連ねる歌 繋がる歴史

「連ねる歌」と書いて「れんが」。連歌は日本の伝統文化です。一体どんな文化なのか、探ってみましょう。

YU-PRSS 山口大学広報学生スタッフ 小原 彩乃

連歌は現代のラップ?

 突然ですが、みなさんラップって聞いたことありますか?今からおよそ50年前にアメリカ・ニューヨークで生まれたカルチャーで、リズムに合わせて即興(そっきょう)で言葉を刻んでいく、いわば言葉遊びです。
 日本にも言葉遊びの歌があります。それが、鎌倉時代のはじめごろに生まれた「連歌(れんが)」です。
 連歌のもとになった和歌は、季節の美しさや人々の生活の趣を、一人の人が「五七五七七」の31音でつづったもの。それに対して連歌は、上の句(前半の五七五)と下の句(後半の七七)それぞれを別の人が詠み、百句まで連ねていきます。連歌独特の細かいルールはたくさんありますが、複数人で詠みつないでいくのが和歌とは大きく違うところ。相手の表現の意図を理解した上で、自分の表現をそれに沿わせるため、深いコミュニケーション能力も必要とされます。そして、面白さや感動を参加者全員で分かち合うこともできる。まさにハイレベルな芸術のコラボレーションです。
 どんな感じなのか、ちょっと挑戦してみましょう。

会えぬ日を重ねてめぐる年の春
君想いつつ一人見る花
吹く風に空薄紅のかすみして
駆ける童の背にランドセル

どうです?別の人が詠むことで、思いがけない変化が生まれていきますよね。

連歌師という職業

 連歌は、戦国時代にも引き継がれ、武士たちの間で大ブームを巻き起こしました。ルールさえ守れば、即興で行えた連歌は、戦乱の中で苦楽を共にする武士たちの結束を高めるのに最適なツールだったのです。連歌の出来が悪ければ、みんなの士気が下がってしまうでしょう。そこで登場したのが、連歌会を取り仕切るゲームマスター「連歌師(れんがし)」です。
 ゲームマスターが発句(最初の句)である「五七五」を決めると、参加者たちは次に続く「七七」を早押しで答えます。ゲームマスターはルールに沿って、その中から最も適切な「七七」を選び、先ほどの「五七五」の後につなげます。そうすると、参加者たちは今決まった「七七」につながる新たな「五七五」を考えてつなげていくのです。連歌師は連歌の細かなルールを熟知し、参加者たちの歌の優劣を決める深い教養も必要とされました。さらに、連歌会の内容を書物にまとめるなど、さまざまな役割をもっていました。

大内氏と連歌師宗祇

 実は、連歌は山口と深い関係があります。室町時代、西国一の勢力を誇った大内氏は山口に本拠を置き、京の都にならったまちづくりを進めました。また、貴族文化や大陸文化に強い関心を示し、朝鮮や明との貿易によって富を蓄え、大内文化の華を咲かせました。
 山口大学人文学部准教授の尾崎千佳さんによると、室町時代中期の大内政弘は、地方大名としていち早く連歌を取り入れ、国内の文化人をたくさん招き入れているそう。そのうちの一人が、京の都から呼び寄せた有名な連歌師、宗祇(そうぎ)です。宗祇は大内政弘に招かれて、山口を2度訪れています。彼は連歌会を通じて武士たちに連歌を広めました。この山口への訪問をきっかけとして、宗祇自らが中心となり『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』という連歌史上極めて重要な作品集も編さんしています。これは大内氏の全面的な支援のもとに実現したもの。政弘の75句を含め、およそ250人、約2,000句からなる大作で、天皇から勅撰※1に准ずる作品として認められています。

神に捧げる連歌の復活

 江戸時代に入ると、連歌は山口祇園祭や周防国三ノ宮仁壁神社の祭りで神事として行われようになりました。神社から神様が降りてきて、祭りの見物客に混じって連歌を詠みに来ると信じられていたのです。毎年七月二十日(旧暦の六月二十日)から一週間行われる山口祇園祭では、連歌堂という小屋が建てられ、毎夜連歌が詠まれていました。連歌の発句は、萩藩主の毛利氏が決めることになっており、連歌師とその弟子は連歌堂にやってくる祭り客たちがつなげる連歌を取りまとめ、完成した百句の連歌は神輿に掛けられて町を練り歩きました。これが一週間、毎晩行われました。
 江戸時代までは山口祇園祭の連歌と鷺舞※2は神事として継承されてきましたが、明治に入り、藩が解体されると、次第に連歌は廃れ、鷺舞だけが残るようになりました。しかし、八坂神社の宮司さんの協力で、平成28年に山口祇園祭の奉納連歌が復活を遂げ、今もなお続いています。山口の大名が発展に寄与し、山口の神に捧げられてきた連歌が、こうして現代によみがえったことは、今一度連歌が見直されるきっかけになるかもしれません。

※1 天皇の命令によって和歌集等を編さんすること。
※2 鷺(さぎ)に見立てた頭と羽をつけて舞う伝統芸能


連歌を募集します!テーマは「春」です。

発句】会えぬ日を重ねてめぐる年の春(五七五)
(意味:コロナが収束しないまま一年が経ち、また春になった)
【脇句】君想いつつ一人見る花(七七)
(意味:今年は、あなたのことを想いつつ、 あなたに会わずに一人で花見をする)

 発句(ほっく)、脇句(わきく)につながる「五七五」の17音の句を募集します!詳しくはこちらをご覧ください。


取材協力:山口大学人文学部 尾崎 千佳 准教授
連歌会席図イラスト:YU-PRSS 山口大学広報学生スタッフ 左海 莉子

“リアルな模型”が動物のお医者さんを育てる

獣医師を目指す学生は、動物の体で治療の練習をします。
この実習、動物には大きな負担になってしまいます。「動物たちの負担を少なくしたい」この想いをかなえるカギが“超リアルな模型”にありました。

YU-PRSS 山口大学広報学生スタッフ 岩見 丞

動物を救うための動物の負担?

 ペットなどの動物を診療するお医者さん、獣医師を知っていますか?獣医師になるためには、大学で獣医学について勉強する必要があります。学ぶといっても教室の授業だけではありません。動物の診療や治療に関わるさまざまな実習も行います。そこでは本物の動物が使われます。例えば、馬の足に包帯を巻く実習では、馬が嫌がることがあります。動物を助ける獣医師を育てるためには、動物を使った実習が必要ですが、実習をすることによって動物にストレスや負担を与えてしまうこともある。こんなジレンマがあります。

動物福祉とは?

 動物と人間の関係をより良くする“動物福祉”という考え方があります。高まることで、さらなる名医が育ちそうですね。人間が動物に対して与える痛みやストレスをできるだけ少なくしようという考え方です。動物福祉は動物園や水族館で飼育されている動物、家畜の馬や牛など、全ての動物に適応されます。私たち人間は、たくさんの動物と関わりながら生活しているからこそ、動物にはできるだけストレスを与えないように配慮したいですよね。

山口大学共同獣医学部が動物モデルを導入

 動物に負担になることはしたくありません。けれども、獣医師の技術や経験を身につけるためには、動物を使って実習をしなければなりません。この問題を解決する糸口となるのが、動物の“模型”です。正式には“動物モデル”といいます。山口大学共同獣医学部では、動物福祉の観点とより良い学習のために、動物モデルの費用をクラウドファンディングで募りました。このクラウドファンディングは、180人の出資によって達成され、無事に動物モデルが導入されました。「動物に優しい教育環境づくりをしてほしい」というたくさんの想いが実を結んだのです。

動物モデル導入で何が変わったの?

 導入されたのは実物大の馬の模型です。この模型、とってもリアルにできています。首の部分は本物の馬の筋肉のような弾力があり、この部分を用いて獣医師の重要な手技である筋肉注射の練習ができます。お腹の部分は、臓器の位置が本物と同じように再現されており、肛門から腕を通して内臓を触って検査をする「直腸検査」を練習することができます。本物の馬では、学生がどの臓器に触っているのか、先生は知ることができません。しかし、動物モデルであれば、背中を開いて臓器を見ることができます。
 山口大学共同獣医学部教授の佐々木直樹さんは、「学生の手がどの臓器に触れているのかを直接見ることができるため、的確な指導ができる」と話します。そして、動物モデルでの実習を受けた4年生の藤原優美さんは、「本物の馬での練習は、馬が嫌がるため抵抗がある。動物モデルでは何回でも練習ができるため、スキルアップが実感できる」と話します。

動物モデルで広がる新たな可能性

 動物モデルでの実習のメリットは、動物の負担を減らしながら獣医師の育成ができるだけではありません。希少な野生動物のモデルならば、その動物の診療、治療技術を発展させることができるなど、さまざまな可能性を秘めています。共同獣医学部では、企業と提携して、既製品にはない新しい動物モデルの開発も手がけているそうです。動物モデルの精度が高まることで、さらなる名医が育ちそうですね。

インターネットを介して自分の活動や夢を発信することで、その想いに共感した人々から資金を募る仕組み


取材協力:山口大学共同獣医学部 佐々木 直樹 教授

大豆ってスゴい!大豆のマメ知識

みなさん今日の朝ごはんは何でしたか? 豆腐のみそ汁に納豆、というお家も多いのではないでしょうか。これらの食べ物に共通するのが大豆です。

YU-PRSS 山口大学広報学生スタッフ 五十川 奈穂

大豆は変身する

 節分の豆まきに使っている豆を思い浮かべてください。あれが大豆です。お正月に食べる黒豆も、黒大豆という大豆の一種。枝豆は、もともと大豆と同じもので収穫時期が違うだけ。熟していない緑色の若い大豆が枝豆で、実が完全に熟して乾燥した状態で収穫されるものが大豆です。
 山口大学農学部教授の荒木英樹さんは、「大豆は、煎ったり煮たりして食べるだけでなく、しょうゆ、みそ、豆腐、納豆、きな粉など、さまざまに加工されて私たちの食卓に登場している」と語ります。

世界で食される大豆

 日本で消費される大豆の8割以上は、先ほど取り上げた食べ物以外の“ある食材”に使われています。一体何だと思いますか?正解は……食用油です。年間240万トン以上の大豆が食用油の原料として使われており、そのほとんどが輸入された大豆です。
 大豆はもともと中国が原産ですが、やがてアメリカで大量生産されるようになって大ヒット。戦前までは高級品だった食用油が、大豆を原料にすることで、安く手に入るようになりました。現在、世界各国で食用油が安く手に入るのは、まさに大豆のおかげなのです。
 油を搾った後の大豆からは、糖やタンパク質を取り出すこともできます。最後に残った搾りかすは、脱脂大豆として牛などの家畜のエサとして利用されています。大豆はほとんど捨てるところがない、とても優秀な食べ物なんですね。

どれだけ発見できるかな?

 日本人の食生活に欠かせない大豆ですが、平成29年の国内自給率はわずか7%。その多くを外国からの輸入に頼っています。では、なぜ日本で大豆の栽培が行われているのでしょうか?食物の生育には、地域の気候や風土が大きく影響しています。日本で作られる大豆は、海外で作られる大豆に比べてタンパク質や糖質を多く含んでおり、豆腐や納豆、みそなどの加工に適しています。日本の大豆が加工品としてバラエティーに富んでいるのは、こうした栄養素をたくさん含んでいるから。それぞれの栄養素によって適した加工品に姿を変えているのです。
 みなさんもどんな加工品に大豆が使われているのか、裏面にある食品表示の中から探してみてください。飲み物やパン、麺類など、意外なところで見つかるかもしれませんよ。


左上から、アブラ、ショウユ、ミソ、クロマメ、ナットウ、アブラアゲ、アツアゲ、エダマメ、キナコ、トウフ

出典:農林水産省大豆のページを参照


取材協力:山口大学農学部 荒木 英樹 教授

あなたのご意見・ご感想

Academi-Q のwebページにご意見ご感想等をお寄せください。
※皆さまからお寄せいただいたご意見等は、誌面で紹介させていただく場合があります。 あらかじめご了承ください。


※ヤマミィグッズのプレゼント募集は締切りました。

YU-PRSS 広報学生スタッフ紹介

編集後記

 コロナ禍が始まって一年以上が経ちました。昨年の今頃は、全国の小中高等学校が休校となりました。読者の皆さんもたいへんな一年だったことでしょう。
 当初は海外の疫病のニュースでした。それが次第に国内の問題となり、県内の出来事となって、ついに私たちの生活を大きく変えてしまいました。これは私たちだけの話ではありません。同じことが世界中で起きました。遠い国の、そのまた地方の、名も知らない小さな町まで、決して見逃されることなく、世界の隅々まで行き渡りました。世界中の人々が同じ問題を抱えています。テレビやスマホの画面の向こう側は、決して別の世界ではなく、私たちの現実の生活とつながっている。そんな当たり前の事が、本当だと実感させられた一年でした。 
 これからもウイルスに限らず、世界的な問題はいろいろ起きるでしょう。そんな時に、決して「対岸の火事」や「のど元過ぎれば」と思わずに、関心を持ち続けたいと思います。そして可能なら、あらゆる問題を引き受ける能力があればなあ、とも願うわけです。


発行人 山口大学長 岡 正朗 / 編集長 山口大学教授 坂口 有人
デザイン・企画 株式会社無限 / 発行 山口大学総務企画部総務課広報室
〒753-8511 山口市吉田1677-1
TEL: 083-933-5007 FAX: 083-933-5013
E-MAIL: yu-info@(アドレス@以下→yamaguchi-u.ac.jp)

総発行部数160,000部 / 山口県内の教育委員会・学校等を通じて、児童、生徒、保護者、先生方に配布します。次回7月発行予定。

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