インタビュー:神経回路シミュレーションで迫る脳機能
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インタビュー
デジタルで探る人間の脳
KOBAYASHI TAIRA
小林 泰良
山口大学大学院創成科学研究科 助教
学科:物理・情報科学科
今回は、神経回路シミュレーションを研究されている小林先生にお話を伺いました。より現実のヒトに近い脳をコンピュータ上で再現するために、どのような工夫や試行錯誤が行われているのでしょうか。神経回路シミュレーションが目指す将来の姿や先生がこの分野に携わることになったきっかけなどについてもご紹介します。
インタビュアー(以下、イ):今回のインタビューは物理・情報化学科(情報分野)の小林泰良先生です。よろしくお願いします。
小林泰良先生(以下、小):よろしくお願いします。
どのような研究をされているのですか?

小:私は神経回路シミュレーションという分野を専門に研究しています。動物の脳はニューロンと呼ばれる神経細胞が結合してできており、ニューロン同士が互いに情報を伝達することで、記憶や感情表現を行ったり、身体を動かしたりなどという活動をしているとされています。解剖学研究で得られた動物の脳のデータを使って、コンピュータ上に動物の脳を緻密に再現し、シミュレーションをすることで、一つ一つのニューロンの活動や結合の仕方が、どのように脳の活動や機能を生み出しているのかを調べています。
イ:ニューロンとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
小:ニューロンとは動物の神経系を構成する細胞(神経細胞)のことです。例えば、ヒトの脳はおよそ数百億個のニューロンから構成されていて、結合数はその千から一万倍と言われています。マウスですら、数千万個のニューロンから構成されています。
イ:結合数がニューロンの何万倍もあるということは、1個のニューロンに対して、たくさんのニューロンが結合しているということでしょうか。
小:はい。ニューロンは樹状突起と呼ばれる、木の枝状に別れた突起を持っています。一つのニューロンはこの突起を用いて他の多数のニューロンから電気信号を受け取ることで電圧が変化、つまり活動します。このとき、どの突起にどの順番で信号を受け取るかによって、電圧の変化のパターンが変わり、そのパターンを識別することで複雑な情報の処理、計算を行っているとされています。
つまり、一つ一つのニューロンはある程度の計算を行っており、その計算結果を他のニューロンに伝達し、また計算が行われる、このような情報処理をヒトは数百億個のニューロンで行い、複雑な脳機能が生み出されているとされています。
イ:数百億個のニューロンがやり取りを行うことで、物事を記憶したり、手足を動かしたりしているのですね。そんなに多くのニューロンのシミュレーションをどうやって行っているのでしょうか。
小:再現する脳の領域を小さくしても、そこに含まれる形状や結合のデータのサイズは大きくなってしまいます。そこで、私の研究室では通常のコンピュータではなく、大規模な計算ができるスパコン「富岳」やGPUサーバなどを用いて研究を行っています。
神経回路シミュレーションの目的
イ:なぜ神経回路シミュレーションをするのでしょうか。
小:神経回路シミュレーションの最大のメリットは、ニューロンの形状や結合の仕方を自由に設定できることです。基本的には、解剖学や生理学を行っている研究者からいただいたデータを用いて、コンピュータ上に”脳”を再現していきます。そして、再現した脳に対して、例えば、ニューロンの形状や結合の仕方を変化させることで、シミュレーションされた脳の活動や機能がどのように変化するかを予測できます。この操作は実験では極めて困難です。
このようにして得られたシミュレーション結果に基づいて、ニューロンの形状や回路の構造がどのように脳の活動や機能を生み出しているのかを調べています。
イ:現実では行えないようなことをシミュレーションを用いることで、脳機能の仕組みをより深いレベルで解明することを可能にしているのですね。
最新の研究について

イ:最新の研究ではどのようなことが行われているのですか?
小:日本は脳のシミュレーション研究に対して、大きな成果を出しています。例えば、理研の五十嵐上級研究員のグループでは、樹状突起のない簡略化したニューロンを用いて、ヒトスケールの全脳シミュレーションに成功しています。
また、樹状突起の形状まで含めた脳シミュレーションでは電気通信大学の山﨑准教授のグループが、マウスの大脳皮質と呼ばれる部位を再現した約1000万個のニューロンからなるシミュレーションに成功しており、この研究には私の研究グループも参加しております。
イ:色々な結果が出ているのですね!これらの研究によって具体的にどのようなことが可能になるのでしょうか?
小:例えば、てんかんなどのたくさんの脳の部位が関連して引き起こされる脳の病気や、アルツハイマーやパーキンソン病などのニューロンが変性することで起こる神経変性疾患のメカニズムの解明、病気の予測などにつながります。
そして現在、私の研究グループでは、ヒトの小脳と呼ばれる部位を対象にした、約100万個のニューロンからなるシミュレーションを行いましたが、ニューロンの詳細な形状まで考慮する場合、ヒトスケールのシミュレーションを行うには、スパコン「富岳」を用いても到底足りません。このような現状を打破するためには、スパコン自体の性能とそのスパコンの性能を最大限に引き出せるシミュレータの性能の向上が必要です。
しかし、これらのシミュレーションでは、安静時の脳の活動はある程度再現することができましたが、体を動かすなどの何かの課題をこなしている、つまり活性化している状態の脳の活動や脳の機能の再現には至っていません。
大規模神経回路シミュレーションの今後について
イ:活性化状態の脳の再現をするにはどうすればよいのでしょうか。
小:大規模神経回路シミュレーションが目指すところは、ヒトの脳活動や機能を再現したシミュレーションを行うことですが、活性化状態の脳活動の再現に足りない部分はどこかというと、アイデアは二つあります。
一つ目は、ニューロンの形状や回路の構造をより緻密に再現することです。実は、ニューロンの形状データはそれほど数多く存在していません。形状データを取得するには、電子顕微鏡などの高額な設備が必要であり、また解析にも時間がかかるからです。また、ヒトの脳は倫理的な問題もあって、さらに数が少ないです。回路の構造も同様であり、先程挙げた研究では、現在判明している同じ形状のニューロンをコピーしたり、平均的なニューロンの構造を求めたりすることで再現を試みています。そこで、私の研究室では、公開されているデータをAIに学習させ、その特徴を反映したデータを生成するような試みを行っています。このようにして、形状や構造のデータに多様性をもたせることで、脳の活動がどのように変化するかを調べています。

二つ目のアイデアは、”体”です。脳は身体を動かし、外の世界に作用します。そして、行動の結果として得られた感覚情報を用いて、その行動が外の世界にどのような影響を与えるのか学習します。例えば、ヒトが歩けるようになったり、自転車が乗れるようになったりするためには、実際に体を動かしてトライ&エラーを繰り返しますよね。つまり、”脳”は身体を用いて外の世界と相互に作用して、経験を得ることが重要です。そのため、脳と身体を同時にコンピュータに再現し、シミュレーションをすることで、活性化状態の脳活動を再現できるのではないかと考えます。このようなデジタル上の脳・身体シミュレーションを行うことを目標の一つとして、現在も研究を行っています。

この道に進んだきっかけは何ですか?
小:大学に進んだ当初は、本物の腕と見分けがつかないように動くような義手を作りたいと思っていたので、工学部に進学しました。ヒトと同じ動きができるロボットを作りたかったわけですね。ただ、ロボット工学の授業でかなり苦戦しまして、私が計算すると何故か毎回、符号が反転するのです。それと手先が不器用で、はんだ付けや材料の加工も不得意だったので、ロボット工学を諦めて、制御工学というロボットの制御、つまりソフトウェア側の研究につきました。

イ:いつ、脳についての勉強を始めたのでしょうか。
制御工学自体は楽しかったのですが、やっているうちに、ヒトの腕を動かすコントローラである脳に興味が出てきました。ヒトはどうやって指先をあんなに緻密に動かしているのだろうか、筋肉の数や関節の動かせる範囲の多さはロボット以上なのに、脳はどうやって計算をしているのだろうかといった感じです。
そこで、大学院では脳の研究を始めたわけですが、勉強を進めているうちに、脳の論文の中で制御工学の理論が出てきたりしまして、大学に進んだ頃から興味の対象自体は代わりましたが、実は全て繋がっていたのだなと感心したことを覚えています。
研究の面白さ
小:私の研究の面白さは、とにかく誰もやっていないことをやっていることです。脳の大規模シミュレーションを行っている研究室はそこそこありますが、私のようにニューロンの緻密な形状まで考えるアプローチはほとんど行われておりません。世界初の結果ばかりが出てくるところに大きな魅力とやりがいを感じています。
イ:長時間のインタビューにお付き合いいただき、ありがとうございました。