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地球圏システム科学科 大和田 正明 先生

何度も南極へ地質調査へ行かれている大和田先生にお話を伺いました。なんと南極で60日もテント生活をされてたそうです。
極寒の南極での調査で一体何が判るのでしょう。
南極での生活、特に南極滞在中の食生活も気になるところです。

 


大和田 正明 Masaaki OWADA
山口大学大学院創成科学研究科 教授
学域:自然科学基盤系学域(地球科学分野)
学科:地球圏システム科学科


 

インタビュアー(以下、イ):今回のインタビューは地球圏システム科学科の大和田正明先生です。何度も南極調査に行かれているそうです。南極でのお話を沢山聞かせていただけることを楽しみにしています。よろしくお願いします。

大和田正明先生(以下、大):よろしくお願いします。

 

どんな研究をされてるんですか?

大:地質学の研究です。マグマが固まってできた火成岩を研究しています。 
特に大陸の土台を作っている岩石がどうやって出来ているかの研究をしています。

イ:地球を作っている岩石の研究をされているのですね。

大:一部繋がっているところはあるんですが海の岩石と陸の岩石は違うんですよ。

イ:と、言いますと?

大:地球は大きく陸と海洋に分かれます。海洋は海水で満たされていますが、海を取っ払らえば水の受け皿になっていた岩石が出てきます。でも面白いことにこの海の底の岩石は大陸の岩石とは全然違うんです。

イ:違うのですか?

大:基本的に出来方が違うものなんですね。勿論岩石ですが、全く違う性質なんです。

46億年前に地球が出来て、大陸は44億年前には出現 していたと言われています。それからの数十億年の間に、マグマが噴出して固まり新しい「岩ができる」ということが繰り返され、その痕跡は大陸のあちこちに あります。少なくとも42億年前からの石と言うのはちゃんと残っている。つまり大陸の岩石はとても年代が広いのです。
ところが海の下の岩石は古くても2億年前程度。それより古い海底の岩石は消滅してるんです。

イ:消滅?

大:不思議な話ですよね。
なぜだと思いますか?

イ:40億年前の海の底にも岩はあったはずですよね。
それが無い?どこへ行ったんですか?

大:地球内部に、また入って行くのです。

大:海と陸の境です。プレートテクトニクスって聞いたことがありませんか?

イ:ああ!聞いたことが・・

プレートの移動

火山の分布
wikipedia「プレート」「火山」より

大:プレートテクトニクスとは地球の表面を覆っている岩盤です。これが地球の表面を動いています。
海洋のプレートは溶けたマントルの一部がマグマとして上昇したものが海の底で固まって作られています。そして移動し、大陸のそばで陸のプレートの下に沈み込みマントルの中に戻っていくのです。
それに対して陸の岩石は、地球の上をずっと浮かんで移動します。時に壊され、時に他のプレート上の陸とぶつかることもあります。そして、その押しあう力で岩石を曲げ、大きな山脈を作ることもある。例えばヒマラヤ山脈がそうです。

昔南半球にあったインドが1億年くらい前から北上を始め、北半球にあるアジア大陸に衝突、そして陸を押し上げてヒマラヤ山脈を作ったのです。これは今なお押し続けている。

イ:今もですか。

大:はい。
大陸と大陸の衝突で陸が盛り上がる所もあれば、逆に一旦出来た大陸が開くこともあります。開いた所にマグマが充填され固まって岩石になり、そこに水が流れ込んで新しい海が出来る。紅海はそうやって出来たのです。

イ:紅海はどんどん広がっていっているということですか。

大:そうです。
更に、その南にアフリカ大地溝帯。引っ張られて裂ける割れ目にマグマが充填され、また割れ目に沿って火山が出来、マグマが出てくる。

イ:陸が裂ける場所でマグマが上がってくるのはなんとなくイメージ出来るのですが、日本に火山が多いのはなぜですか?

大:海洋プレートが入り込む所には火山が多く出来るのです。
火山は地球内部の岩石が溶けてマグマになり噴出するものですが、地球内部のどこもかしこもが溶けているわけではありません。特定の場所だけが溶けて、そこに火山ができているのです。
岩石は固いように見えますが結構空隙があり、スポンジのように水がしみ込みます。だから海洋プレートが沈みこむ時には地殻と一緒に海水も沈み込むのです。そして地下で圧力が高まり、やがて一定の深さで水が絞り出され、水は上昇していく。この水が1000度を超える温度になると、その部分の岩石を溶かすんです。水無しでは1500度の熱で溶けなかった岩が水が加わることで溶けるんですよ。そして溶けたマグマが上がって行って火山になる。

海洋プレートの沈み込み位置と角度・水の放出位置・温度といった条件で火山が出来る位置は決まってきます。だから日本列島を含め、太平洋の周りの海洋プレートが沈み込んでいるあたりには火山が多いんです。

イ:マグマが噴出し、固まって新しく岩になる・・・陸の岩石は、この変化の歴史がそのまま残されているのですね。

大:地球は中心に核があり、その周りをマントルが覆い、ほんの表層近くに薄く地殻があるという構造になっています。マントルが溶けて上昇し、地殻の上で固まることで地殻は成長しているのです。

イ:地殻とマントルの違いって何でしょう?

大:両方とも岩石なんですが性質が違うんです。

イ:地殻は溶けたマントルからできているんですよね?

大:マントルとは異なります。溶けたマントルがマグマとなって上昇し、このマグマが固まって地殻になりますが、マントルの全部が溶けているわけではなく、マントルの中の溶けやすい成分だけが溶けているんです。この溶けやすい成分が地殻の成分です。勿論共通する成分もあるのですが全体としてみると違います。

:マントルの成分を調べる? マントルの石を掘り出せるのですか?

大:マントルは地殻の下にあるから通常私たちが見ることは無いはずなんですが、ごくまれにマントルが地表に現れることがあるのです。
噴火によりマグマが上昇する時にマグマがマントルを一部捕まえて持ち上げたり、あるいは大陸と大陸の衝突といった大きな地殻変動を起こす時に、マントルの一部が引っかかるように持ち上がり、それが地表に出てくることがあるのです。

イ:これが「マントルの石だ」なんて分かるものですか?

大:特徴的な色や重さを持っているので、慣れれば分かりますよ。
これがマントルの石です。(→)

 

イ:これですか! うわ、この石・・・重い。

 

大:そうでしょう。マントルは重い元素が多く、地殻の岩石は軽く溶けやすい元素が多いのです。

イ:重い元素が多いからこんなに重いのですね。

大:これはマントルに特徴的な鉱物である 「かんらん石」が多く含まれている「かんらん岩」です。
もう一つの黒い方の石はマグマが溶けて固まった「玄武岩」。これにも「かんらん石」が含まれてはいますが、量的には全然です。
岩石の色は鉱物の色を反映します。この「かんらん岩」は緑がかった色をしてますね。オリーブ色と表現されます。この岩石を作っている主体的鉱物である「かんらん石」は英語でオリビンといいます。オリーブ色の鉱物という意味です。

イ:「かんらん石」の割合がとても高いから、この岩全体がオリーブ色っぽく見えるということなんですね。
溶けないままで地上にマントルが上がってくることがあるなんて面白いです。
初めてマントル触っちゃった♪

 南極調査

イ:南極調査に何度も行っておられるそうですね。南極の調査へ行かれたのはいつですか?

大:4回行っていますが、一番最近の調査は2008年11月~2009年2月の第50次日本南極地域観測隊「セール・ロンダーネ山地地学調査隊」参加です。

イ:漠然と平らな雪原をイメージしていたのですが、南極にはかなり険しい山もあるのですね。11月~2月は夏の南極ですね。やはり、冬は雪や氷が厚くて調査が難しいからですね。

大:夏でも冬でも雪と氷の世界です。夏に行く理由は「明るさ」ですよ。南極の夏は白夜ですから1日中昼ですが、逆に冬は極夜。ずっと夜ってことです。冬は真っ暗なんですよ。

イ:あ、なるほど。真っ暗では調査出来ませんね。
南極を調査する理由は何でしょう?

大:南極が大陸の衝突と分裂を何度も繰り返している場所だからです。
一番最近の・・・6億5000万年くらい前には今の南極大陸とアフリカ・オーストラリア・インドは一つのゴンドワナ大陸を作っていました。
私が調査に行った場所はこれらの大陸がある時期一つになっていた場所です。こういった場所を調査をすることで大陸がどのように大きくなり、動き、分かれてきたかの過程が分かるのです。

イ:先生の感覚では6億5000万年前も「最近」なんですね(笑)
インドが南極と繋がっていたなんて何億年も前のこととはいえ不思議な気がします。大陸って、そんなにも動くものなのですね。
ヒマラヤあたりは今も大陸が押し続けている新鮮な(?)調査ポイントということになりますか?

大:ヒマラヤは現在進行形で現象が起きている所です。私が知りたいのは大陸の衝突の時、その遥か下の深い所で何が起こったかということです。衝突の現在進行形の場所を掘ってみるのは難しい。

イ:知りたい所は遥かに深い場所なのですね。

大:南極は衝突と分裂を経てきた場所で、しかも、その時深い場所にあった層が露出しているのです。そういう部分ってあまり無いんです。

イ:なるほど、だから南極を調査されるのですね。
南極へはどのように行かれたのですか?

大:調査隊本体は晴海から南極観測船「しらせ」で昭和基地へ向かいましたが私達は別働隊だったので、成田から飛行機で出発し、南アフリカ共和国のケープタウン経由で南極のベルギー基地へ行きました。

イ:ベルギー基地?
他国の基地が利用できるのですか?

大:国同士の手続きを行うことで、お互いの基地や物資の協力が出来るようになっているのです。
この時はベルギーの基地で物資を調達・整備させていただきました。そこから調査目的地まで移動して、あとはテント生活です。

イ:基地ではなく、テント? 南極の外気温ってどれくらいですか?

大:-20℃くらいかな。
調査開始と終了の各2週間は基地でしたが、残りの60日はテントです。

イ:60日間南極でテント暮らし!?

大:テント自体は山岳遠征隊も使うような極寒地仕様のものです。2週間毎にキャンプ地を移動して調査しました。

イ:移動手段は何ですか?

大:スノーモービルです。

イ:(衝撃)・・・犬ぞりかと・・・

大:え、えぇ!? 犬ぞり???
あ、いやそれは1970年くらいまでのことで・・・今は南極条約で生き物を連れていくのは禁じられていますし・・・

イ:(汗)ずっとアムンゼンの偉人伝や映画「南極物語」のイメージのままでした(汗)(汗)。
えーと、生活物資を全部抱えての移動ですと荷物は凄い量になりますね。

大:一つのスノーモービルにソリを2台付けて100kgずつの荷物を積みます。計200kgですね。

イ:移動した先で岩石を採取されるんでしょう?
荷物はどんどん重くなりますね。

大:そうなんです、我々の調査のそれが一番悩ましい所で、調査が進むと荷物が重くなるんです。

イ:持ち帰る石の量はどれくらいですか?

大:基地からは飛行機で運ぶので重量制限がありましたが、それでも一人100kg。6人でしたから600kgですね。採取した石は分け合ったりするので結構色々採れますよ。

調査スケッチ

南極での生活

イ:60日のテント暮らしの間、食事はどのようにするのですか?

大:今回はフリーズドライを日本で作って行きました。

イ:フリーズドライ!なるほど、軽量で扱い易くて、正に南極調査向のアイテムですね。

大:はい。

(←)これは「イワシのトマト煮」「チキンとキャベツのクリーム煮」「ナスと肉のカレー」です。お湯を注げは2,3分で食べられます。

イ:料理丸ごとのフリーズドライなのですね。
南極のテント生活でこんなに本格的なメニューが食べられるとは驚きました。

大:これ、大事なんですよ。 限られた空間で同じ人間とずっと一緒となると、人間の心理は・・・ね。何か楽しみが無いと、やはり問題が生じてくるものだと思います。

イ:ストレスがたまるとトラブルも起きがちということですね。

大:そんな時に食事がちゃんとしたものだと、いいんですよね。
メニューも豊富で、毎日食事を楽しみにしてましたよ。
クリスマスはケーキ食べたり、メンバーの誕生日には餃子作ったりね。餃子の肉あんはフリーズドライにして持参したものですが皮は小麦粉から作ったんですよ。

イ:餃子パーティー。いいですね。食事がレクリエーションなのですね。
南極で迎える誕生日というのもレアな経験ですね。

大:ふふっ
お正月はアルファ米で酢飯を作って、フリーズドライの刺身を乗せた海鮮ちらし寿司にしたんですよ。

イ:え?フリーズドライでお刺身! ちゃんとお刺身に戻りましたか?

大:具は、うに・ほたて・まぐろ・甘エビ。 
触感はちょっと言葉で表現できないようなズレがあったけど、味は、ほぼ戻ったよ。

イ:これは隊員の方の希望で実現したメニューなのですか?

大:食事は調理隊員が考えてくれますが、誕生日や正月などの特別食としてリクエストを聞いてくれたのです。
それで、まず餃子作りしたいという案が出て、次に寿司が食べたいって要望が。

イ:えー 調理隊員の方、ビックリされたでしょうね。

大:とりあえず試作品を作ってみて、意外と大丈夫かなっていうことで、現地でやってみたわけですよ。

イ:刺身は50次隊が初挑戦ですね。これはこれで冒険的初試みでしたね。偉大な一歩だったのかも。

大みそかの宴会風景。明るいけど21時くらい。
いい天気です。

手作りの鳥居と雪の祭壇に伊勢神宮のお札を飾り。
缶詰をお供えして初詣。

イ:南極暮らしもなかなか楽しそうですね。
フリーズドライのお料理はいつ頃から南極での食事に導入されているのですか?

大:第49次隊の時に初試みとしてフリーズドライ食を導入して、これが良かったので私達の50次隊は本格的に準備しました。調理リーダーの指揮のもと私達も手伝って準備しました。

イ:フリーズドライ食が導入される前はどのようにされてましたか?

大:冷凍の食材を現地で時間をかけて調理してました。
それに比べるとフリーズドライの調理はほとんど手間がかからないです。お湯を少し入れるだけですからね。
水も少量ですみますから、今は携行用は基本的にフリーズドライ食だと思います。

皆でフリーズドライ食作り

イ:水はどうするのです?

大:雪をコンロで溶かします。幸いにも材料は沢山あります。

イ:材料は沢山あっても、荒天だと材料を集めるだけでも大仕事ですね。
南極の天候はどうでした?

大:60日いましたけど活動出来たのは30日くらいですよ。
天候が悪いと調査は無理です。凄い強風なんです。吹雪いたらテントから出ることも出来ない。1m先も見えませんから。

イ:うわー 大変。

イ:白夜で終日明るいと、 明るくて眠れないなんてことにはなりませんでしたか?

大:そう、すっごく明るいですよ。紫外線も強い。
食事テントは黄色で明るくして、個人用の小テントは中を暗くして寝易いようにとモスグリーンにしたのですが・・・ダメでしたね。

イ:なぜです?

大:紫外線が強すぎて、最初は良かったけどみるみる色あせちゃった。

イ:そんなに。

大:すごく強いんですよ。みるみる色あせて、ちっとも暗くならない。疲れてるから寝ますけどね。

イ:電気は使えましたか?

大:ソーラー発電してました。

イ:なるほどソーラー発電! 白夜だから一日中発電できるってことですね。電気の使い道は?

大:保温ポット。石油コンロで雪を溶かし沸かした水をポットで保温します。それと生命線の無線機の充電。これで昭和基地に連絡を毎日入れます。あとは行動用無線機とカメラやパソコンですね。

イ:テントの設営やスノーモービルの運転、調理や水の準備など、やはり南極滞在には特別な知識が必要ですね。事前に講習や訓練があるのですか?

大:1年間かけて事前訓練をします。

黄色の大テントが食事テント、黒っぽく
見える小テントが個人用。黄テント横に
ソーラーシートが設置してあります。

 

イ:(←)これが訓練の計画書ですか。結構厚い本ですね。大変そう・・・

大:そうですね。例えば梱包。何100箱もの荷物を日本から積んでいきますから、どこに何があるかを完璧に把握する必要があるんです。その為のリストと目印の付け方から叩き込みます。

イ:現地であれが無いこれが無いなんてことになると生命の危機ですものね。
スノーモービルの運転や南極での生活方法もこの事前訓練で?

大:はい。工場に行って2泊3日で組み立てから訓練しました。

イ:組み立てまで!?

大:実際には現地ではスノーモービルは乗れる状態で準備されてるんですが、何かあった時に自分で整備できるように構造を知っておかねばなりません。
医療も大事です。我々は医者が同行したわけではないので、怪我や病気の時に備えた講習も。

イ:いろいろな知識が必要になりますね。
事前訓練と準備に1年とはもっともなことですが、大変ですね。

大:訓練楽しいですよ。

メンバーはどのように選ぶのですか?

大:興味あるっていうアピールですね。
最終的には我々が所属している地質学会の中の南極委員会が人選しますが、その南極委員会の主体は南極活動を進めている極地研究所です。そういう所に顔出してアピールして、タイミング的に合致すると、声かけてもらえたり(笑)

イ:最初の南極行きは、どのように参加が決まったんですか?

大:僕はね、学生の時から「南極行きたい行きたい」って言い続けていたんです。
極地研究所や南極委員会の先生達の所に足しげく通って自分を覚えてもらって、先生を捕まえては「行きたい行きたい」って(笑)
ただ、その時は「だったら就職して来い。就職したら行かせてやる。」だったんです。当時は国家公務員でないと行けないシステムだったんですよ。学生は無理だと。

イ:それで大学の先生になって、やっと念願が叶ったんですね。
そこまで南極に興味を持つことになった、きっかけは何だったのでしょうか。

大:まあ、色々あったんですが、たまたま南極経験者が集まっているグループと話す機会があって、そこで面白そうだなと思ったのきっかけの一つでした。
もう一つは身近な先輩に南極に行ってる人が多かったからかな。南極は身近な話で、僕も行けるんじゃないかなと思って。

イ:なるほど、南極が身近に思える環境だったってことですね。
私は想像するだけで凍ってしまいそうです。

解析

大:これが南極の石です。

イ:これですか! ・・・・・・うーん・・・線路の敷石みたいなかんじの石ですね。

大:そんなもんですよ。これは5億6000万年前の石です。

イ:そういうことが、どうやって分かるんですか?

大: 機械で分析して調べます。この中にジルコンと言う鉱物が含まれているんですが、この鉱物が少量のウランを持っているんです。ウランは放射性の元素なのでそ れが時間が経つと量が減って最終的には鉛に変わります。そのウランの量と鉛の量を測定することによってその鉱物がいつできたのかが分かります。鉱物が出来 た年代がその岩石が出来た年代です。

イ:何か発見がありましたか?

大:陸が衝突する時に大陸の断片が深くまで潜ることが判りました。先ほど大陸地殻同士がぶつかってヒマラヤが上に盛り上がった話をしましたが、ぶつかった大陸は同時に下側にも潜っているんです。

イ:どれくらい潜っているのですか?

大:我々の研究で分かってきたもので60kmくらいは軽く潜っているものがあります。もっと深く行ってると思いますが、証拠として見つかっているものではそれくらいです。
その証拠の一部がこの石です。この石は、マントルが溶けて上がってきて陸になり、その後再びマントルに行って溶けて、そして再び地上に上がってきた、そんな複雑なプロセスを経てきた石なんですよ。

イ:そんなことが分かるのですか

大:はい、これが成果の一つですね

イ:これはマントルと地殻を行ったり来たりの凄い大冒険をしてきた石なんですね。
出会った石がどんな歴史を経てきたものであるかは時間をかけて調べて判明するものでしょう?石を採取する時にある程度は判かるものなのですか?

大:勿論、当たりをつけて採取しますよ。
どういう目的と狙いで何を持ち帰って、どういった処理をすればよいかということを考えながら取ります。
そうそう、今回我々が行った隊で日本隊としては初めて新鉱物が見つかったんですよ。

イ:どんな鉱物ですか?

写真提供 山口大学 志村俊昭教授

大:(←)これです。この赤い部分が新鉱物です。
青い部分はサファイア。

イ:綺麗ですね。カラフル。色々な石が集まってる。

大:調査を終えて帰り仕度中の時間も差し迫っていた時、メンバーの一人がどうしてももう一回採取に行きたいと言ったんです。それで「いいよ」って後片付けと調査とで2班に分けて採取に行くことにしたのです。その時取ってきた石の中に新鉱物があったんです。

 

イ:感じる物があったんですね。

大:そうなんですねー
これを見つけたのは志村先生です。マグネシオヘグボマイト2N4Sという鉱物です。

イ:え?(隣の部屋の)志村先生!? 一緒に行かれてたんですか!

今その石はどこにあるんですか?

大:ええ、その時志村先生は新潟大学に居られたので一つは新潟大学。
一つは国立科学博物館、もう一つは山口大学にあります。

イ:わ♪  山口大学にもあるんですか。どこにあるんですか?

大:ふふ

イ:・・・・・・・・・・・・・・・隠してあるんですか?

大:はい、隠してあります。

イ:(笑)
帰国してからは持ち帰った石の分析ですね。

大:はい。解析に1年2年は普通にかかります。

イ:生き物はいましたか?海からは随分遠いようですからペンギンには会えないかな。

大:ペンギンは見てませんね。我々がいた所は海岸から200kmくらい離れた所ですから。でも鳥がいましたよ
雪鳥という鳩くらいの大きさの可憐な鳥で、すごく綺麗なんですよ。
これが岩陰に群れで暮らしている。

イ:真っ白! 綺麗

大:毎日200km先の海まで魚取りに行ってるみたいでね、何百羽と集まって一斉に旋回して飛んで行くのは本当に綺麗。素晴らしい眺めです。

調査の必需品

岩石を採集するための道具類.
柄の長いものが「大割りハンマー」.
重さ2.5 kg
手前から2番目の小さな鉄製の棒は,石を砕きやすくする「タガネ」.
山歩きの調査は大荷物で大変ですね.
ルーペ。これで結構分かるものだとか。
クリノメーター。
地層の方向や傾きを調べる物。
なんと普通のコンパスと東西が逆!? 学生が悩む所だそうです・・・確かに

 

インタビュー日:2015年8月7

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