犬の口腔内悪性黒色腫で同定したCXCL8によるマクロファージ浸潤機構—腫瘍免疫微小環境を標的とする新たながん治療の開発に向けて—
発表のポイント
- 犬の口腔内悪性黒色腫(OMM)は、口腔内に発生する犬のがんで最も悪性度が高く、有効な全身療法が限られており、新たな治療戦略が必要とされています。
- OMMの免疫微小環境を網羅的遺伝子発現解析と免疫組織化学(IHC)を用いて調査したところ、腫瘍関連マクロファージ(TAM)が高頻度で浸潤していることを確認しました。
- 腫瘍細胞由来のケモカインとしてCXCL8 (IL-8)がマクロファージを誘い寄せる作用をもつことを同定しました。
- 遺伝子ノックアウトや抗犬CXCL8中和抗体により、マクロファージの遊走が有意に低下し、さらに組換えCXCL8タンパクの添加によって遊走性が回復することを確認しました。
- CXCL8はOMMにおける主要なマクロファージ走化性因子であり、CXCL8−CXCR1/2の結合阻害が、免疫微小環境を制御する新たな治療戦略となる可能性が示されました。
概要
山口大学共同獣医学部の伊賀瀨雅也准教授、岡内菜央学部生、水野拓也教授らの研究グループは、犬の口腔内悪性黒色腫(メラノーマ、OMM)におけるマクロファージ浸潤の分子基盤を解明しました。本研究には、山口大学の渋谷周作准教授、櫻井優准教授、山本浩加氏(研究当時:学部生)、板本和仁教授、馬場健司准教授、東京大学の中川貴之教授、加藤大貴講師、岐阜大学の前田貞俊教授らが共同で参画しました。
犬の OMM は悪性度と転移性が高く、予後不良が大きな課題です。獣医療でも抗 PD-1 抗体などの免疫療法が導入され、一定の効果が認められている一方で、効果が得られにくい症例へ向けた新たな治療戦略が求められています。なかでも腫瘍免疫微小環境の解析は糸口となり得ることから、私たちは腫瘍免疫微小環境において、抗腫瘍免疫を抑える働きをもつことで知られる腫瘍関連マクロファージ(TAM)に着目しました。
本研究ではまず、犬のOMM腫瘍組織を用いて網羅的遺伝子発現解析(RNA-seq)と免疫組織化学(IHC)を行い、TAMが高頻度に浸潤していることを明らかにしました(図1)。

図1 : 網羅的遺伝子発現解析では、OMM腫瘍組織でマクロファージ関連遺伝子の高発現を認めた。
免疫組織化学では、OMM組織において、TAM(矢頭)が高頻度に浸潤していた。
次に、犬の悪性黒色腫細胞株の培養上清を用いたトランスウェル法で、マクロファージの走化性を評価しました。評価には、犬由来マクロファージ細胞株 DH82およびマウス由来マクロファージ細胞 RAW264.7を用いました。その結果、悪性黒色腫細胞株の培養上清にはマクロファージを遊走させる走化性因子が含まれていることが分かりました。
さらに、その走化性因子の同定のために、各種ケモカインの遺伝子発現量とマクロファージの走化性の比較を行ったところ、好中球の走化性因子として知られるCXCL8が候補として浮上し、培養上清中のCXCL8濃度とマクロファージの遊走数に強い相関が認められました(図2)。

図2 : 培養上清中のCXCL8濃度とマクロファージの遊走数に強い正の相関が認められた。
そこで、CRISPR/Cas9システムによる悪性黒色腫細胞株のCXCL8遺伝子ノックアウトや、抗犬CXCL8中和抗体を用いて、CXCL8の阻害したところ、図3のようにマクロファージの走化性が抑制されました。

図3 : CXCL8遺伝子ノックアウトや、抗犬CXCL8中和抗体を添加したところ、マクロファージの走化性が抑制された。
最後に、CXCL8遺伝子ノックアウト細胞由来の培養上清に組換え犬CXCL8タンパクを添加することで、走化性の低下が解除されることを示しました。
これらの結果から、犬OMMではTAMが高頻度に浸潤し、CXCL8がOMMにおけるマクロファージ浸潤の鍵の1つであり、免疫抑制的な腫瘍微小環境の形成に関与していることが示唆されました。
本研究のまとめ
本研究では、腫瘍関連マクロファージ(TAM)を腫瘍へ引き寄せる走化性因子として、ケモカイン CXCL8を同定しました。CXCL8–CXCR1/2軸を阻害することで、マクロファージの腫瘍内への集積を減らし、腫瘍免疫微小環境を制御できる可能性があり、既存の免疫療法(抗PD-1抗体など)の効果を高めることが期待されます。
今後は、CXCL8を中和する抗体や、その受容体であるCXCR1/2を阻害する薬剤の開発を進め、犬の腫瘍に対する新しい治療法の実装を目指します(図4)。

図4 : 本研究のまとめ。腫瘍細胞から放出されるCXCL8が腫瘍関連マクロファージ(TAM)を腫瘍へ引き寄せる。
CXCL8あるいはその受容体CXCR1/2を抗体薬などにより阻害することができれば、
マクロファージの集積を抑制できる可能性があり、
腫瘍微小環境を制御する新規の治療戦略となることが期待される。
論文情報
- 論文名:CXCL8 mediates macrophage migration in canine oral malignant melanoma
- 掲載誌:Scientific Reports
- 発表日:2025年11月6日(オンライン掲載)
- 著 者:岡内菜央、渋谷周作、櫻井優、山本浩加、板本和仁、加藤大貴、中川貴之、前田貞俊、馬場健司、水野拓也、伊賀瀨雅也
- DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-025-22749-x
研究助成
本研究は日本学術振興会科学研究費補助金(22K14991)およびThe UBE Foundation 64th Research Grant Awardの支援を受けて実施されました。
用語の補足
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口腔内悪性黒色腫
犬の口の中(歯ぐきや頬粘膜、舌など)にできる悪性度の高いメラノサイト由来の腫瘍である。メラノーマとも呼ばれる。非常に転移しやすく、難治性腫瘍として知られている。 -
マクロファージと腫瘍関連マクロファージ
マクロファージは体内の“掃除役”の免疫細胞である。腫瘍内に集まると「腫瘍関連マクロファージ(TAM)」と呼ばれ、腫瘍の増殖や免疫抑制に関連することが知られている。 -
ケモカイン
免疫細胞を特定の場所へ“遊走させる”ための分子の総称。細胞の移動方向を決める役割をもつ。 -
CXCL8
ケモカインの一種。主に好中球を呼び寄せるが、条件によってはマクロファージなど他の免疫細胞の移動にも関与する。CXCL8の受容体として、CXCR1とCXCR2が同定されている。 -
遺伝子ノックアウト
ある遺伝子を意図的に欠失させる手法。近年開発されたCRISPR/Cas9というゲノム編集技術が主に用いられる。ノックアウトされた遺伝子について、その機能を失わせる仕組み。 -
中和抗体
標的の分子(例:CXCL8)に特異的に結合し、その分子が受容体に結合することを阻害する働きもつ抗体である。
問い合わせ先
- <研究に関すること>
山口大学共同獣医学部分子診断治療学研究室
准教授 伊賀瀨 雅也
Eメール:m.igase@(アドレス@以下→yamaguchi-u.ac.jp) - <報道に関すること>
山口大学総務企画部総務課広報室
電話番号:083-933-5007
Eメール:sh011@(アドレス@以下→yamaguchi-u.ac.jp)

